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樽町中生のための日本史4(蘇我馬子) [日本史学習]

1、蘇我氏は大和朝廷の有力な豪族で、馬子は対立する
  物部氏の守屋と争い、勝利します。

2、蘇我氏は大陸文化の取り入れに熱心で仏教にも
 寛容でしたが、物部氏は仏教の受け入れに反対して
 いました。

3、そうした両者が用明天皇の崩御のあと、後継者に
  誰を立てるかで争ったのです。そして蘇我馬子が
  勝ったのです。

4、馬子は自ら立てた推古天皇と摂政となった聖徳太子に
  協力し、仏教を広めました。

5、聖徳太子の没後は天皇を凌ぐほどの勢力を持ち、
  子供の蝦夷ともども専横をきわめるようになったと
  言われます。

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樽中生のための日本史3(聖徳太子) [日本史学習]

1、幼少の頃から優れた才能を発揮していたようで、20歳で推古天皇の
  摂政となりました。

2、603年に冠位十二階を定め、能力の高い人材の発掘に努めました。

3、604年に十七条の憲法を定め、天皇中心の国づくりを推進しました。
  それだけ豪族の力が強かったとも言えますね。


4、607年、遣隋使を送り、中国(当時の隋)と国交を開きました。
  隋の皇帝は聖徳太子の手紙の内容が大国である自国と対等
  の挨拶であることに立腹したようですが、国際情勢を踏まえ、
  受け入れることにしたようです。

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樽中生のための日本史2(推古天皇) [日本史学習]

1、日本最初の女帝

2、聖徳太子を摂政にした。

3、豪族の勢力を抑えようとした。

4、仏教を保護した。

5、大陸文化を積極的に取り入れた。
  蘇我氏や聖徳太子との複雑な権力関係はあったと思われますが、在位は36年に及びました。

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樽中生のための日本史1(卑弥呼) [日本史学習]

 1世紀の日本は小国分立の時代でした。2世紀になり長い戦いを
終わらせるために女王が立ち、国々をまとめることに成功します。
これが卑弥呼です。

 卑弥呼の国である邪馬台国は位置が不明で
昔から諸説があり、決着がついていません。

 決定的な証拠になる卑弥呼の墓や都の遺構が発見されていないからです。
また中国の史書の記述が曖昧なせいもあります。

 卑弥呼の力の源泉は呪術であったようです。巫女としての力です。
そして、神秘性を高めるために人前に姿を見せなかったようです。

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