1、幼少の頃から優れた才能を発揮していたようで、20歳で推古天皇の
摂政となりました。
2、603年に冠位十二階を定め、能力の高い人材の発掘に努めました。
3、604年に十七条の憲法を定め、天皇中心の国づくりを推進しました。
それだけ豪族の力が強かったとも言えますね。
4、607年、遣隋使を送り、中国(当時の隋)と国交を開きました。
隋の皇帝は聖徳太子の手紙の内容が大国である自国と対等
の挨拶であることに立腹したようですが、国際情勢を踏まえ、
受け入れることにしたようです。
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2010-02-20 18:44
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